忙しくて休む暇も無いこの茶屋の唯一の休憩時間とも言える時間に押しかけてくるようになった客はなんとも言えない人だった。本人は至って真面目なようだけど、世間的にはもう彼を表す言葉は一つしかないように定着していた。

「遊郭の皐月に庄屋のお花に鍛冶屋のお光に反物屋のお幸に」
「はいはいはいはい、それが如何したんです?」
「その中でもが一番好きだなぁと思ってよ」
「お茶飲んだらさっさと帰ってくださいよ、たらしで有名の孫市さん」

毎日のように通いでやって来てはお茶を飲んで帰ると言った作業を繰り返すこの人は、いつの間にやらこの店一番の常連客。ある日突然ふらふらとこの店に入ってきたときは何だか落ち込んでいた様子でしかも倒れこんできたので介抱してあげたらこのざまだ。それ以来この人はこの休憩時間にお茶を一杯飲みに(しかも無銭で)来る様になってしまった。このたらしの癖さえなければ、この間一緒に来てた前田慶次さんみたいに阿国さんみたいな綺麗な人に追われる側の身になっててもいいはずなのに、好き好んで追い掛け回す側に立ったのだからどうしようもない。

「ったくこんな色男ほっとくのお前さんぐらいだよ」
「自分で言えるところがまたすごいですよ」

こうして毎日この人が此処にやって来てくれては安心して。本心かどうかは分からないけれど私を好いていると言葉を置いて帰っては次の日にまた同じ言葉を持って来る。世界中の女を口説きたいって言う言葉にも嘘はないんだろうけど。しかもそれを何より1日の楽しみにしている自分がいるって事に気付いたのはつい2・3日前。ホントこのたらしの癖さえなけりゃ、ね。

、ちょっと」

店に誰もいないのを知っていてこの人は毎日私を引き寄せ抱きしめる。それは戦を見てきて辛いことを慰めのための温かさが欲しいのか、ただ単にたらしの本性なのか分からないけど(後者でない事を祈るけど)私はそれを受け止める。 私を抱きしめる間は嘘のように静かになるこの人はどれだけの思いを背負っているのか知らない。でもたぶん私には計り知れないことなのだと思う。

「・・・抱き心地はやっぱりお光の方が」
「このたらしが!」

口を開けばいつもと同じ言葉が漏れて、彼の言う言葉は私の心配を紛らわす言葉だって分かってるのにどうしてもそのとおりじゃないかと思ってしまう(お光さんってどんな人だろうかとか)。それならいっそたらしを直してくれる約束をして欲しい。けど絶対に無理だと私自身も確信している。咎めたところでこの人の癖が直るとか絶対有り得ないし、それを笑って聞いてるのだから直す気もないんだと思う。たらしじゃない、みんな平等に愛してるっていうのが彼のモットーであるのだろうから止めようもないし、止められる自信もない。彼の腕からすり抜けて飲み干された湯飲みをいつもと同じ動作で片付ける。

「本当に一番愛してるんだけどな」
「はいはい」
「信じてねぇな、こりゃ」
「信じたいけど騙されたくないんですよ」
「騙してる覚えは無いんだけどなァ」
「そうですか?あ、そろそろ休憩時間終わりますよ」
「また明日来るよ、いつもの時間に」
「それまでにたらしの癖を直してきてくださいね」
「相変わらずの難題で、その上無理な話だな」

いつもと同じ会話を交わして彼は店を出て宿へと帰っていく。本当に愛してくれてるって、だって信じたいのに信じられないってそれほど不幸なことは無いけれど、明日でもその先でもいつでもこの暖簾をくぐって入って、また暖簾をくぐって帰るのを見ていたいから私はこの店でいつもの時間に彼を待つ。 戦が終われば彼は何処へ行ってしまうのかわからないけど、それでも私は彼を待ち続けていたいと思うんだ。 戦が無い平和な世になってそれでも此処へ来て、その言葉を囁いてくれるのなら。



平和な世界を想う時


(06/08/01)