月も星も見えない曇り空。そして路地裏に小さく灯るキセルの赤。闇夜に佇む彼の姿はまるで闇と同化している様で、雲が月から離れる一瞬、ほんのりと彼の顔を映し出した。機嫌が悪そうなのはその薄暗く浮かび上がった表情を見るまでもない。彼の不機嫌な理由は、彼の指定した時間通りに私が来なかったことにあるからだ。 「遅ェ・・・時間通りに来いって言ったろ」 「別に来るとも言ってないし、待っててなんて頼んでない」 こうして高杉と向かい合って話をするのは、いつぶりだろうか。突然の文に今日の時間とこの場所、そして高杉の名前が書いてあった。突然いなくなって、突然こんな文を寄越して、いつだって高杉は突然なのだ。だから、行くかどうか散々迷った。でも、来てしまった。次、いつ会えるか分からない彼に会いに。 「・・・ま、許してやらぁ。ちょっと付き合え」 「何処に?」 「これから今まで以上に長旅に出んだよ。、着いて来い」 「行かない」 「あ?」 「行かないって言ったの」 私の言葉が予想外だったのか、ピタリと歩くのを止めて、振り返り、その片眼で私を捉えた。不機嫌さを隠そうともせずに眉を寄せて、ハッと吐き捨てる様な笑いをして私を鋭く睨みつける。そして一言、くだらねぇなと言って、先々に歩いていこうとする。その背中に私は言った。 「今直ぐここで、私を斬り捨てて」 「あ?」 「高杉の誰彼構わず斬り捨てる姿が、私は好きなの」 「馬鹿か。こっちはテメーに指図される筋合いねぇんだよ」 「刃向う者を切り捨てるんでしょ、高杉は」 「・・・イイ度胸してんなァ、?」 「その信念を早く、私に証明してみせてよ」 ここで斬り捨ててられるのが本望なのか、高杉に何か別のことを期待してるのか、自分でもどっちかよく分からない。でも、ここで斬り捨てくれなきゃ諦められない。諦めきれない。私はまた子とは違って銃が使える訳でもなく、万斉さんのように剣豪と呼ばれるほどの腕もない。その辺に溢れる江戸の一般庶民の女だ。世界を破壊するのに力のない私が必要なはずがない。正直別に高杉が世界をどうしようとどうも思わないのだ。そう思ったから高杉から離れようと思ったのに。すると高杉は私の傍まで戻ってきた。そして刀を抜く様子も、私の首に手をかける様子もなく、ただ私のことを見透かすように見ていただけだった。馬鹿じゃないの。私なんかいらないってはっきり言えばいい。たったそれだけ言ってくれればいい。もう待ちたくない。もう高杉のことを考えたくない。好きな気持ちを諦めさせてくれたらそれで。もう次に言葉発したら、涙はボロボロと落ちるだろう。落ちる前に早く。 「お願いだから斬って、捨てて!」 「・・・いいから黙って着いてこい」 嫌だ。諦めさせてよ。泣きそうになる声を押さえながら首を振る。私がそんな黙ってついて行く女に見えるだろうか。いざとなったら手だって足だって、全部出るに決まってる。高杉のことなんて・・・好きじゃない!精一杯の強がりを吐いたと同時に、高杉の手が私の頬に伸びて触れた。そしてその片眼と私の目が至近距離で視線を絡ませた時には、頬を伝った涙が高杉の指を濡らした。 「テメーだけは許さねェ」 「・・・」 苦々しくそう呟いたくせに、その言葉とは裏腹に、壊れ物を扱う様な優しさで身体を抱きしめられた。斬り捨てられる。この想いごと、命ごと全部斬り捨てて諦めさせてくれる。そう思っていたのに、それが抱き締められているなんて予想外もいいところだ。 「お前は大人しく、俺のもんになりゃあいいんだよ」 さっきまで不機嫌だった表情が一転して、高杉はいつもと変わらない不適な笑みを浮かべていた。そのくせに、珍しく甘さを含んだ声で話しかける高杉がいる。嫌いだ。私の思いも叶えてくれない男なんて嫌いだ。「・・・ったく、お前が素直じゃねえことくらい知ってんだよ」そう言って私の全て奪い去れるくらい余裕のある男なんて嫌いだ。高杉なんて嫌いだ。容赦なく切り捨てる姿勢。優しくないはずの男。なのに、愛しい。嫌いになれたらどれほど良かっただろうか。本当は斬り捨てられて、命を奪われたとしてもなくなる想いなど存在しなかった。高杉は私の唇を愛し気に親指でなぞり、ゆっくりと優しい口づけを落とした。私は眼を閉じて、彼とのこれからの幾末を静かに思った。 夜 襲 (09/04/13) |