あの頃の私は何を当然だと思って、何を変わらないと信じていたんだろう。小さい頃に手を繋いでいたことだっていつの間にか恥ずかしくなって繋げなくなったり、私より小さかった桔平はとっくの昔に私の身長を抜かしてしまっていた。 テニスを始めて私の全然知らない人との交流が増えて、小さい頃の思い出は一緒のはずなのに小学校から中学校へと成長していくたびに、桔平と私の思い出はだんだん違うものになっていたのに寂しいとも思わなかった。それはいつだって隣の家の自分の部屋の向かいの窓には桔平の姿が映っていたし、もし高校が違うようになったってそれはそれで仕方のないことだと思っていた。 それでも隣の家の窓には桔平が映り続けるのだと信じて疑わなかった。それは変わることなく続くのだと。 「は?東京?」 「ああ、もうすぐ引っ越す」 突然の別れを告げられたのは今日みたいな蝉の声が五月蝿い日だった。あれから隣の家には新しい住人が住んで、前の金髪の同い年の幼馴染が住んでいた面影はもう残っていない。 別れの日を振り返ったって後悔しかしなかったし、後悔したところで1年も前のあの日をもう一度なんて夢のようなことなんてあるはずもない。あんな日をもう一度なんて見たくないけれど。桔平の去った夏が過ぎて秋も冬も春も来て、1年前より少し暑い夏が来ても、思い出すのは最後の別れの桔平の顔だけだった。 「もうすぐって、なんで今まで何も言ってくれなかったの!」 「だから今、言いに来たんだ」 「いや遅いし!突然引っ越すとか、しかもそれが今日!?」 「ああ」 「ああ、って」 10年来の幼馴染に何の連絡も無く、早朝突然押しかけて来て、もうすぐ引っ越すとか馬鹿みたいに真顔でそう言う桔平が、明日から居なくなると分かっても気に喰わなかった。 振り上げるのを我慢してぎゅっと握り締められた掌が汗ばんできた。追い討ちのようにミンミンと響く蝉の声が五月蝿い。 「杏は?」 「家に居る」 本当にこのままじゃ喧嘩別れになるに違いないと確信して、とりあえず落ち着くことも含めて杏の元へ行くことにした。 桔平の家の前には引っ越しセンターの大きなトラックが停まっていて、桔平のおじさんやおばさんが「ちゃん、今まで桔平や杏と仲良くしてくれて有難うなんて、もう本当に居なくなる定番のセリフを私に言って思わず苦笑いで返した。 その言葉を聞いて泣きついてきた杏を慰めるようにこっちに帰ってきたら遊ぼう、またメールちょうだいねって言えたのに。 泣き喚く杏をおばさんが宥め、もうすぐ出発するから、と桔平が私を家まで送ってくれた。 「俺が居ないからって泣くなよ」 「誰が、泣くわけないじゃん」 「どうだか」 「桔平こそ私が居ないからって泣かないでよ」 「ははは、気ぃつけるばい」 最後の最後までいつもどおりで笑って冗談すら言えた。このまま止めなくても後悔しかないだろうし、止めても後悔する。本当に泣きたいのはどっちの方だろうね。 千歳君に怪我をさせてテニスを辞めて東京へ行ってしまう桔平と、桔平を想っても東京なんて遠いところに行ってしまうことを止めることも泣くことも出来ないと思っているだけの自分と。 「さよなら、桔平」 汗ばんだ手の掌を握り締めてもう如何にも想ってはいけない相手は何も言わないで目の前に立っていた。私が言えるのはそのたった一言しか思い浮かばない。なのに、どうして、そんな、辛そうな表情を浮かべるの。 最後なんだから笑ってよ。笑われても私は切なくて、きっとその時こそ泣いてしまうと思うけど。 「元気でな、」 こんなに泣くのを我慢したことないって言うくらいに泣きそうになったのを我慢した。なんでいつもみたいにじゃあなとか、また明日なとかじゃなくて、元気でなって言うのよ、なんで頭撫でるの。そんな不自然なことされたら引き止めたくなるよ、桔平の馬鹿野郎。 ああもう本当にお別れだ。明日からは空き家になってしまう隣家。新学期から、明日から顔を合わせることもない大好きな幼馴染。さようなら、さようなら。 * あれから1年。杏からのメールで桔平が髪を切った事もテニスを始めたことも全国大会へ出場が決まったことも全部知った。遊びに東京においでと何度も誘われたけど。 「今更会いに行ったところでどうしたらいいのよ」 変わらない想いを伝えたところで傍に居てもらうことは不可能だし、連絡手段は電話かメールかで会おうと思ってもすぐに会いにいけない。 それでも私の頭の中にはいつまでも桔平の最後の顔が思い出されていた。桔平の隣に居るのが当然で、当たり前だったその光景を、失ったことを酷く思い知らされているのだ。1年経った今だって。 参加させていただきありがとうございました。 「lonely song」企画様へ捧ぐ!嗣也 |