「ほらほら、!」
「・・・水町、なにその手は」

私は水町の顔を見て、すぐに差し出された手を見つめた。その手は私を助けるためのものでも私と手を繋ぐためのものでもない。なぜなら私は今、転んだとか、一緒に帰っているとか、そんなシチュエーションに遭遇していない。期末テストともなるとすぐこれだ。全く悪びれた様子もなく、ずいずいと急かすように伸びて来るその手を全力ではたき落としたくなる。

「いつものことだって分かってんだろ?だからさ、ノート貸してちょーだいって?」
「やだよ。それが人にものを頼む態度か?」
「んなこと言わないでさー。マジやばいんだって俺!」
「うん、そうだろうね。寝てばっかりだし危ないと思うよ、心底」
「ンハッ!だったらさー分かるだろ?俺の苦労が!」
「わかんない。十分な休息のおかげで水町が絶好調だっていうことだけはわかるけど」

普段勉強しない奴らがこぞってノート収集に精を出し、その一人であるのが当然であるような態度の水町とそのとばっちりを受ける私。中学の頃から決まってこの時期に私にノートを借りに来るのは水町で、いつの頃からか私は水町のテスト対策担当員になったらしい。そんなこと引き受けたつもりは全くない。他のメンバーはちゃんとテスと勉強してるんだから一緒にすればいいのに。

「勉強なんか無理だってー!あ〜あ、テストってなんでこんなヤル気出ねぇんだろ」
「そう?私はそうでもないけど。やった分だけ結果出るし」
「それはヤマ当たった時だけなー」
「そういう勉強の仕方を選んでるんでしょ。せっかくノート貸してもこれじゃあね」
「でもそのノートがなかったらもっとマジやべぇことになるから!ホント頼む!!」
「ダメ。無理」

前の空いた席に座り、人のシャーペンをくるくる回しながら水町は、部活が忙しいだの何だのと言い訳を並べ始めた。はいはいと流していると水町はちゃんと聞いてんのかよー!と私に当たりだした。高校まで一緒のクラスのになると思ってなかったけど、高校生になったら私は水町を甘やかすのを止めようと思ってた。水町はやればできる。勉強に関してだけは興味がなさすぎてからっきしだったけど、それだって努力すれば出来る筈だ。それは中学から見てきた私が知ってる。散々人に当たり散らした水町は(半分以上聞いてなかったけど)さっきまでとは裏腹の笑顔を浮かべて、思いついたように言葉を発した。

「ならさ、が勉強教えてくれたらいいんじゃね?」
「はい?」
「俺に勉強のコツとテスト対策よろしくな」
「やだ」
「なんで!?」
「俺はじゃなきゃだめなんだって!」
「は、はいぃぃ?」

私じゃなきゃだめ?何を言うかこの男は。・・・でも良く考えよう。水町は普段から素直に何でも発言する性質だ。ところかまわず、状況すら考えず。今この状況からして、こいつはテストの補習から逃れるためなら何にでもすがりたい気持ちであることは確かだ。だからこの言葉の意味に深い意味はない。意味を間違っちゃいけない。落ち着け私。

「だって俺のノートって今までからしか借りたことねーから仕様なんだよ」
「私仕様って・・・」
「だからさ、から借りなきゃ落ち着かないって感じでさ」
「落ち着かないって・・・まさかそれでノート書かないとか?」
「あ、それもあるかも」
「あんたはそうは言うけど、水町に貸したい子は他にいっぱいいるんだよ?」
「でも1冊ありゃいいし」
「そう言う意味じゃなくてね。別に私じゃなくたって他の人に頼めばいいじゃない」
「違うって!とにかく勉強教えてもらうのにはじゃなきゃ嫌なんだよ!」

だから意味はない。水町の言葉に意味はない。この台詞には私を信頼しているという意味での好意はあっても、私を異性として好きだという意味の好意は一切含まれていない。そのことは重々理解してる。長い付き合いの私だからこうした違いがあることを悟れるけど、高校になって一緒になった水町に好意を寄せる女の子たちに、この言葉を向けて言ったら完全ノックアウトだ。で、水町に告白して振られようものなら、女の子たちが不憫でならない。この純粋馬鹿をそう野放しに出来ない。・・・そう考えたらやっぱり私がやるしかないのか。

「・・・もうわかった。教えてあげるわよ!」
「え、マジで!?マジで!マジでいい奴!!!」
「はしゃぐな!でもって人の腕持ってブンブン振りまわすな!」
「へーへー・・・ってあれ?なんで赤くなってんの?」
「こ、これで私の成績悪くなったら絶対あんたのせいだからね!」
「ンハッ!だったら一緒に補習受けてやるじゃん」
「絶対受けないし!っていうか、あんたは人が教えるのに赤点とるとか決めつけない!!」
「了解!!ホントありがとな、!」

ほら見ろ。やっぱりこいつはテストの補習から逃れるためならなんでも言うし、なんでもやる男だ。無邪気な笑顔だからって、何でも許されるわけじゃない。こいつは天使みえるわけなんかじゃない。むしろ悪魔だ。無邪気な笑顔で私を翻弄する。重々理解していても、たとえ言葉の違いがあることを悟れてるとしても、悪魔になんて勝てない。勝てるはずなんてない。そのうち精一杯の強がりでさえ通じなくなるくらい、この笑顔に誘惑されて魂までも明け渡してしまいそうだ。



期末試験には



悪魔 が住むの




(09/3/24)