はじまりの前に 声は出なかった。それこそ、声が出たなら富士樹海だとか魔窟だとか異次元空間といった言葉がつらつらと出てきかねない、そんな書類の山に埋もれた竜崎さんはうつらうつらと船を漕いでいる。キラがいる限りまともに布団で寝ることもできず、かといってキラがいなくたって竜崎さん、Lにはゆっくりできる休みなど存在しない。犯罪は毎日どこかで確実に起きていて、Lを頼る世界中の人からのアクセスは年中絶えない。そのせめてもの睡眠時間を邪魔したくはないが、自分の心持からしてこの見るに堪えない有様を放っておいて、新年を迎えようという気は起らない。出来るだけ音を立てずに足もとに散らばる書類から拾い上げ、竜崎さんの元へと近づく。竜崎さんのソファの近くの書類を拾い上げた瞬間、ぐっと腕を掴まれた。 「・・・それとそれを一緒にしないでください」 「りゅ、竜崎さん」 「さん、何をしているんですか」 「片付けをしようかと」 「何故ですか」 「だってあと数時間で新年ですよ?」 「それがどうかしましたか」 「だから綺麗に整理して新年を迎えたくないですか?」 「新年だからと言って休みになるわけでもないのにですか」 「それは、そうですけど」 ぐっと言葉に詰まる。そう言われてしまえば元も子もない。竜崎さんは私の腕から手を離し、テーブルの上に積み上げていた角砂糖を1つつまんで口に入れた。いくら甘いものが好きな私でも何度見てもその光景は異様で、テーブルの上に芸術的に積み上げられたお菓子の山はいつか崩れてくる気がしてならない。そんなことはお構いなしに、竜崎さんはガリガリと角砂糖を噛んでいる。 「ワタリさんはどちらに?」 「ワタリは今、年越し蕎麦とおせちを準備してくれているそうです」 「・・・きっちりあるんですね」 「私はほとんど栗金団しか食べません」 「・・・他がもったいないですね」 「ワタリのおせちのメインは栗金団です」 「なら、そのワタリさんのおいしい蕎麦と栗金団を片付いた部屋で食べたくないですか?」 「部屋が散らかっているからといって味は変わりません」 「私は綺麗でなきゃ嫌です」 「さんも食べるんですか?」 「・・・だって今ここにひとりなんです」 夜神部長と月くんは家で家族と年越しを(夜神部長は仕事があるからと渋っていたけど)、松田さんは着替えを取りに家に帰っていて(多分、今頃家族に蕎麦だけでも食べていけとか言われてそう)、茂木さんと相沢さんはご飯を食べに外に、というわけで今は私ひとりなんです。言ったところで竜崎さんは大した興味もなかったようで、そうですかと言いながら口に次々に角砂糖を放りこんでいた。仕事といった仕事を普段与えられていない私は、こうして急に一人にされるとどうしたらいいのかわからなくなったのでここに来たということもある。ここにくれば掃除とかそういった雑用をできると考えたからだ。雑用くらいなら何もできない私にだって出来る。それを口にしなくても竜崎さんはきっと分かってくれている。角砂糖がガリガリと竜崎さんの口の中で崩れる音を聞きながら、私は言葉を続けた。 「それにもうワタリさんにはお願いしてあります」 「そうですか」 「と、いうわけで竜崎さん、気分転換も兼ねて一緒に掃除しますか」 「嫌です。気分転換になりません」 「どうしてですか?」 「そういったことは全部ワタリがしてくれます。掃除はただ疲れるだけです」 「でも今年最後の大掃除くらいはやりましょう、ね?」 「嫌です」 「・・・それなら手伝ってくれたら正月明けに私が山ほどお菓子作ってきます」 竜崎さんは次の角砂糖をつまみ上げたところで手を止め、私の顔をじっと見つめた。そのいかにもあなたにお菓子作りが出来るんですか?な感じの目はやめてほしい。予想はしていたけれどもやっぱりちょっと傷つく。 「これでも一応調理師免許持ってますよ。アルバイトの経験から取りました」 「そうなんですか。初耳です」 「松田さんはケーキおいしいって言ってくれましたよ?」 「・・・松田が、ですか」 「なんならケーキには竜崎さんの砂糖菓子もつけてあげます。頭から食べますか?」 「それは気分が悪いのでやめてください。嫌がらせですか」 「だから手伝ってください、ね?」 「お菓子はいただきますが掃除はしません」 「・・・もー子供みたいなこと言ってないで早く!」 最終的に無理やりソファから引きずり降ろして、私の持っていた書類を押しつけた。だらだらと書類をつまみあげ溜息をつく竜崎さんの様子を横目で見ながら、私も足もとの書類を拾い上げる。今年最後に竜崎さんを動かすという大仕事に満足感を感じていると、ワタリさんが部屋をノックする音が聞こえた。ハーイと返事をして扉を開けると蕎麦のいい香りが鼻をかすめ、それと同時に除夜の鐘が鳴り始めた。 (08/12/31) |